(平井憲夫氏の著作です)

 

原子>発>所の恐ろしい実<
     〜〜原発がどんなもの<知ってほしい    平井憲夫

・>次・

私は原発反対<<家ではありま>ん

「安全」は机上の話

素人が造<原発

名ば<りの検査・検査官

いい<げんな原発の耐震設計

定期点検工<も素人が

放射能垂れ流しの海

内部被爆が一番怖い

普通の職場環境とは全く違う

絶対安全」だと5時間の洗脳教育

だれが助け<の<

びっくりした美浜原発細管破断<故! もんじゅの大<故

日本のプルト<ウムがフランスの核兵器に?

日本には途中でやめ<<気がない

廃炉も解体も出来ない原発

「閉鎖」して、>視・管理

どうしようもない放射性廃棄物

住民の被>と恐ろしい差別

私、子>生んでも大丈夫です<。たとえ>気がなくなってもいい<ら、私は原発はいやだ。

原発があ<限り、安心できない

著者 平井憲夫さんについて

------------------------------------------------------------

 

私は原発反対<<家ではありま>ん。

二<年間、原子>発>所の現場で働いていた者です。原発については>成だと<、危険だと<、安全だと<いろんな論争がありますが、私は「原発とはこ ういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃ<ようなも のではなく、毎日、被>者を生み、大変な差別をつくってい<ものでもあ<ことがよく分<<と思います。

はじめて聞<れ<話も多いと思います。どう<、最後まで読んで、それ<ら、原発をどうしたらいい<、みなさんで考えられたらいいと思います。原発に ついて、設計の話をす<人はたくさんいますが、私のように施工、造<話をす<人がいないのです。し<し、現場を知らないと、原発の本当のことは分<りま> ん。

私はプラント、大きな化学製造工場などの配管が専門です。二<代の終わりごろに、日本に原発を造<というのでスカウトされて、原発に行きました。一作業負だったら、何十年いても分<りま>んが、現場>督として長く働きました<ら、原発の中のことはほとんど知っていす。

 

「安全」は机上の話

去年(一九九五年)の一月一七日に阪神大震災が起きて、>民の中<ら「地震で原発が壊れたりしない<」という不安の声が高くなりました。原発は地震 で本当に大丈夫<と。し<し、決して大丈夫ではありま>ん。>や>>会社は、耐震設計を考え、>い岩>の上に建設されてい<ので安全だと強調しています が、これは机上の話です。この地震の次の日、私は神戸に行ってみて、余りにも原発との共通点の多さに、改めて考えさ>られました。まさ<、新幹線の線路が 落<したり、高速道路が横倒しにな<とは、それまで>民のだれ1人考えてもみ<ったと思います。

世間一般に、原発や新幹線、高速道路などは官庁検査によって、きびしい検査が行われてい<と思われています。し<し、新幹線の<脚部のコンクリート の中には<枠の木片が入っていたし、高速道路の支柱の鉄骨の溶接は溶け込み不良でした。一<、溶接がされてい<ように<えていても、溶接そのものがなされ ていなくて、溶接部が全部はずれてしまっていました。なぜ、このような<が起きてしまったのでしょう<。その根本は、余りにも机上の設計ば<りに重点を置 いていて、現場の施工、管理を怠ったためです。それが>接の原>ではなくても、このような<故が起きてしまうのです。

 

素人が造<原発

原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆ<人が間違え<<故、ヒューマンエ ラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が<派でも、設計通りには造られていない<らです。机上の設計の議論は、最高の 技量を持った職人が施工す<ことが絶対条件です。し<し、原発を造<人がどんな技量を持った人であ<の<、現場がどうなってい<の<という議論は1度もさ れたことがありま>ん。

原発にしろ、建設現場にしろ、作業者<ら検査官まで総素人によって造られてい<のが現実です<ら、原発や新幹線、高速道路がいつ大<故を起こして も、不思議ではないのです。日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこ<で故障が起き<とちゃんと止ま<ようになっています。し< し、これは設計の段階までです。施工、造<段階でお<しくなってしまってい<のです。

仮に、自分の家を建て<時に、<派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官<の腕が悪<ったら、>漏りはす<、建具は合わなくなったりしますが、<念ながら、これが日本の原発なのです。

ひとむ<し前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれ<職人、現場の<い>督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。職人は自分 の仕<にプライドを持っていて、<故や<抜きは恥だと考えていましたし、<故の恐ろしさもよく知っていました。それが十年くらい前<ら、現場に職人がいな くなりました。

全くの素人を経験不問という形で<>しています。素人の人は<故の怖さを知らない、なにが不正工<やら<抜き<も、全く知らないで作業しています。それが今の原発の実情です。

<えば、東京>>の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま<転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大<故になっていたところで した。本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大<故につなが<<の認識は全然な<ったのです。そういう意味では老朽化した原発も危 ないのですが、新しい原発も素人が造<という意味で危ないのは同じです。

現場に職人が少なくなって<ら、素人でも造れ<ように、工<がマ<ュアル化され<ようになりました。マ<ュアル化というのは>面を<て作<のではな く、工場であ<<度組み<てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ね<ようにして合わ>ていくんです。そうす< と、今、自分が何をしてい<の<、どれほど重要なことをしてい<の<、全く分<らないままに造っていくことにな<のです。こういうことも、<故や故障がひ んぱんに起こ<ようになった原>のひとつです。

また、原発には放射能の被>の問題があって後継者を育て<ことが出来ない職場なのです。原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互 いに話をす<ことも出来ないような所です<ら、身振り<振りなんです。これではちゃんとした技術を教え<ことができま>ん。それに、いわゆ<腕のいい人ほ ど、年間の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だ<ら、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。

また、<えば、溶接の職人ですと、>がやられます。30歳すぎたらもうだめで、細<い仕<が出来なくなります。そうす<と、細<い仕<が多い石油プ ラントなどでは使いものになりま>ん<ら、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こう<なあということになります。

皆さんは何<<違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでい<<も知れないけれど、そんな高級なものではないのです。です<ら、素人が造<原発ということで、原発はこれ<ら先、本当にどうしようもなくなってきます。

 

名ば<りの検査・検査官

原発を造<職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。し<し、その検査体制が問題なのです。出来上がったものを<<のが日本の検査です<ら、それではダメなのです。検査は施工の過<を<<ことが重要なのです。

検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく<ていなさい。このようにす<んだ」と自分でやって<><技量がないと本当の検査にはなりま>ん。そ ういう技量の無い検査官にまともな検査が出来<わけがないのです。メーカーや施主の説明を聞き、>類さえ整っていれば合格とす<、これが今の官庁検査の実 <です。

原発の<故があまりにもひんぱんに起き出したころに、<転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。原発の新設や定検(定期検査)のあとの<転の許可を出す役人です。私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らな<ったです。

というのは、水戸で>演をしていた時、会場<ら「実は恥ず<しいんですが、ま<っきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って 発言した人がいました。その人は「自分たちの職場の職員は、被爆す<<ら絶対に現場に出さな<った。折<ら行政改革で農水省の役人が余ってい<というの で、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチの養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任さ>た。そういう何にも知らない人が原発の専門 検査官として<転許可を出した。美浜原発にいた専門官は三<月前までは、お米の検査をしていた人だった」と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。 このようにまったくの素人が出す原発の<転許可を信用できます<。

東京>>の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作<した大<故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その 人は、自分の<当してい<原発で大<故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。なぜ、専門官が何も知らな<ったの<。それは、>>会社の人は専門官 がまったくの素人であ<ことを知っています<ら、火<場のような騒ぎの中で、子どもに教え<ように、いちいち説明す<時間がな<ったので、その人を現場に も入れないで放って置いたのです。だ<ら何も知らな<ったのです。

そんないい加>な人の<に原子>検査協会の人がいます。この人がどんな人<というと、この協会は通産省を定年退職した人の天<り先です<ら、全然畑 違いの人です。この人が原発の工<のあらゆ<検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕<が進まないのですが、検査のことはなにも知りま>ん。で す<ら、検査と言ってもただ<に行くだけです。けれども大変な権限を持っています。この協会の<に>>会社があり、その<に原子炉メーカーの日<・東芝・ 三菱の三社があります。私は日<にいましたが、このメーカーの<に工<会社があ<んです。つまり、メーカー<ら上も素人、その<の工<会社もほとんど素人 ということになります。だ<ら、原発の<故のことも>>会社ではなく、メー>−でないと、詳しいことは分<らないのです。

私は現役のころも、辞めて<らも、ずっと言っていますが、天<りや特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進してい<ところです <ら、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をす<。そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と 指導を行えば、溶接の不具合や<抜き工<も<抜け<<らと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていま>ん。 このように、日本の原発行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです。

 

いい<げんな原発の耐震設計

阪神大震災後に、慌ただしく日本中の原発の耐震設計を<>して、その結果を九月に発表しましたが、「どの原発も、どんな地震が起きても大丈夫」とい うあきれたものでした。私が関わった限り、初めのころの原発では、地震のことなど真面>に考えていな<ったのです。それを新しいのも古いのも一緒くたにし て、大丈夫だなんて、とんでもないことです。1993年に、女川原発の一号機が震度4くらいの地震で出>が急上昇して、自<停止したことがありましたが、 この<故は大変な<故でした。なぜ大変だった<というと、この原発では、1984年に震度5で止ま<ような工<をしてい<のですが、それが震度5ではない のに止まったんです。わ<りやすく言うと、高速道路を<転中、ブレーキを踏まないのに、突然、急ブレーキが<<って止まったと同じことなんです。これは、 東北>>が言うように、止まった<らよ<った、というような簡単なことではありま>ん。5で止ま<ように設計されてい<ものが4で止まったということは、 5では止まらない可能性もあ<ということなんです。つまり、いろんなことが設計通りにい<ないということの現れなんです。

こういう地震で異常な止まり方をした原発は、1987年に福島原発でも起きていますが、同じ<の原発が全>で10もあります。これは地震と原発のことを考え<とき、非常に恐ろしいことではないでしょう<。

定期点検工<も素人が原発は1年くらい<転す<と、必ず止めて検査をす<ことになっていて、定期検査、定検といっています。原子炉には70気圧と <、150気圧と<いうものすごい圧>が<けられていて、配管の中には水が、水といっても300℃もあ<熱湯ですが、水や水蒸気がすごい<いで通っていま す<ら、配管の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあ<のです。そういう配管と<バルブと<を、定検でどうしても取り>えなくてはならないのですが、 この作業に必ず被>が伴うわけです。愿発は一><<すと、中は放射能、放射線でいっぱいになります<ら、その中で人間が放射線を浴びながら働いてい<ので す。そういう現場へ行くのには、自分の服を全部脱いで、防護服に着>えて入ります。防護服というと、放射能<ら体を守<服のように聞こえますが、そうでは ないんですよ。放射線の量を計<アラ−ムメーターは防護服の中のチョッキに付けてい<んです<ら。つまり、防護服は放射能を外に持ち出さないための単な< 作業着です。作業してい<人を放射能<ら守<ものではないのです。だ<ら、作業が終わって外に出<時に は、パンツー枚になって、被>していない<どう<検査をす<んです。体の表面に放射能がついてい<、いわゆ<外部被>ですと、シャワーで洗うと大体流>ま す<ら、放射能がゼロにな<まで徹底的に洗って<ら、やっと出られます。

また、安全靴といって、備付けの靴に履き>えますが、この靴もサイズが自分の足にきちっと合うものはありま>ん<ら、大<な働く足元がちゃんと定ま りま>ん。それに放射能を吸わないように全面マスクを付けたりします。そういう<っこうで現場に入り、放射能の心配をしながら働くわけです<ら、実>、原 発の中ではいい仕<は絶対に出来ま>ん。普通の職場とはまったく違うのです。そういう仕<をす<人が95%以上ま<っきりの素人です。お百姓や漁師の人が 自分の仕<が暇な冬場などにやります。言葉は悪いのですが、いわゆ<出稼ぎの人です。そういう経験のない人が、怖さを全く知らないで作業をす<わけです。

<えば、ボルトをネジで締め<作業をす<とき、「対角線に締めなさい、締めないと漏れ<よ」と教えますが、作業す<現場は放射線管理区域です<ら、 放射能がいっぱいあって最悪な所です。作業現場に入<時はアラームメーターをつけて入りますが、現場は場所によって放射線の量が違います<ら、作業の出来 <時間が違います。分刻みです。現場に入<前にその日の作業と時間、時間というのは、その日に浴びてよい放射能の量で時間が決ま<わけですが、その現場が 20分間作業ができ<所だとす<と、20分経つとアラ−ムメーターが鳴<ようにしてあ<。だ< ら、「アラームメーターが鳴ったら現場<ら出なさいよ」と指示します。でも現場には時計がありま>ん。時計を持って入<と、時計が放射能で汚染されます< ら腹時計です。そうやって、現場に行きます。

そこでは、ボルトをネジで締めながら、もう10分は過ぎた<な、15分は過ぎた<なと、頭はそっちの方にば<り行きます。アラームメーターが鳴<の が怖いです<ら。アラームメーターというのはビーッととんでもない音がしますので、初めての人はその音が鳴<と、顔<ら血の気が引くくらい怖いものです。 これは経験した者でないと分<りま>ん。ビーッと鳴<と、レントゲンなら何十枚もいっぺんに写したくらいの放射線の量に当たります。です<らネジを対角線 に締めなさいと言っても、言われた通りには出来なくて、ただ締めればいいと、どうしてもいい加滅になってしまうのです。す<と、どうなります<。

 

放射能垂れ流しの海

冬に定検工<をす<ことが多いのですが、定検が終わ<と、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。はっきり言って、今、日本列島で取れ<魚で、安心して食べられ<魚はほとんどありま>ん。日本の海が放射能で汚染されてしまってい<のです。

海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありま>ん。原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。

原発の<故があっても、県などがあわてて安全宣言を出しますし、>>会社はそれ以上に隠そうとします。それに、>民もほとんど無関心です<ら、日本の海は汚れっぱなしです。

防護服には放射性物質がいっぱいついています<ら、それを最初は水洗いして、全部海に流しています。排水口で放射線の量を計<と、すごい量です。こ ういう所で魚の養殖をしています。安全な食べ物を求めてい<人たちは、こういうことも知って、原発にもっと関心をもって欲しいものです。このままでは、放 射能に汚染されていないものを選べなくな<と思いますよ。

数年前の石川県の志賀原発の差止め裁判の報告会で、八十歳近い行商をしてい<おばあさんが、こんな話をしました。「私はいままで原発のことを知らな <った。今日、昆布とわ<めをお得意さんに持っていったら、そこの<奥さんに「悪いけどもう買えないよ、今日で終わりね、志賀原発が<転に入った<ら」っ て言われた。原発のことは何も分<らないけど、初めて実感として原発のことが分<った。どうしたらいいの<」って途方にくれていました。みなさんの知らな いところで、日本の海が放射能で汚染され続けています。

 

内部被爆が一番怖い

原発の建<の中は、全部の物が放射性物質に変わってきます。物がすべて放射性物質になって、放射線を出すようにな<のです。どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜け<<らです。体の外<ら浴び<外部被>も怖いですが、一番怖いのは内部被>です。

>コリ、どこにでもあ<チリと<>コリ。原発の中ではこの>コリが放射能をあびて放射性物質となって>んでいます。この放射能をおびた>コリが口や 鼻<ら入<と、それが内部被>になります。原発の作業では片付けや掃除で一番内部被>をしますが、この体の中<ら放射線を浴び<内部被>の方が外部被>よ りもずっと危険なのです。体の中<ら>接放射線を浴び<わけです<ら。

体の中に入った放射能は、通常は、三日くらいで汗や小便と一緒に出てしまいますが、三日なら三日、放射能を体の中に置いたままになります。また、体 <ら出<といっても、人間が<<に決めた基準です<ら、決してゼロにはなりま>ん。これが非常に怖いのです。どんなに微量でも、体の中に蓄積されていきま す<ら。

原発を<学した人なら分<<と思いますが、一般の人が<学でき<ところは、とてもきれいにしてあって、職員も「きれいでしょう」と自慢そうに言っていますが、それは当たり前なのです。きれいにしてお<ないと放射能の>コリが>んで危険です<ら。

私はその内部被>を百>以上もして、癌になってしまいました。癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしよう<と考えました。でも、 私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。じゃ死ぬ前になに<やろうと。原発のことで、私が知ってい<ことをすべて明<みに 出そうと思ったのです。

 

普通の職場環境とは全く違う

放射能というのは蓄積します。いくら徴量でも十年なら十年分が蓄積します。これが怖いのです。日本の放射線管理というのは、年間50ミリシーベルトを守ればいい、それを越えなければいいという姿<です。

<えば、定検工<ですと三ケ月くらい<<ります<ら、それで割<と一日分が出ます。でも、放射線量が高いところですと、一日に五分<ら七分間し<作 業が出来ないところもあります。し<し、それでは全く仕<になりま>ん<ら、三日分と<、一週間分をいっぺんに浴び>ながら作業をさ><のです。これは絶 対にやってはいけない方法ですが、そうやって10分間なり20分間なりの作業ができ<のです。そんなことをす<と白血病と<ガンにな<と知ってくれてい< と、まだいいのですが……。>>会社はこういうことを一切教えま>ん。

稼<中の原発で、機械に付いてい<大きなネジが一本緩んだことがありました。<いてい<原発は放射能の量が物凄いです<ら、その一本のネジを締め< のに働く人三十人を用意しました。一列に並んで、ヨーイドンで七メートルくらい先にあ<ネジまで走って行きます。行って、一、二、三と数え<くらいで、も うアラームメーターがビーッと鳴<。中には走って行って、ネジを締め<スパナはどこにあ<んだ?といったら、もう終わりの人もい<。ネジをたった一山、二 山、三山締め<だけで百六十人分、金額で>>百万円くらい<<りました。

なぜ、原発を止めて修理しないの<と疑問に思われ<<もしれま>んが、原発を一日止め<と、何億円もの損になります<ら、>>会社は出来<だけ止めないのです。放射能というのは非常に危険なものですが、企業というものは、人の命よりもお金なのです。

 

絶対安全」だと五時間の洗脳教育

原発など、放射能のあ<職場で働く人を放射線従<者といいます。日本の放射線従<者は今までに約二七万人ですが、そのほとんどが原発作業者です。今 も九万人くらいの人が原発で働いています。その人たちが年一>行われ<原発の定検工<などを、毎日、毎日、被>しながら支えてい<のです。

原発で初めて働く作業者に対し、放射線管理教育を約五時間<けて行います。この教育の最大の>的は、不安の解消のためです。原発が危険だとは一切教 えま>ん。>の被>線量で管理してい<ので、絶対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で原発反対の人たちが、放射能でガンや白血病に冒され<と言ってい <が、あれは“マッカナ、オオウソ”であ<、>が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だと、五時間<けて洗脳します。

こういう「原発安全」の洗脳を、>>会社は地域の人にも行っています。有名人を呼んで>演会を<いたり、 文化サークルで料理教室をしたり、カラー印刷の<派なチラシを新聞折り込みしたりして。だ<ら、<故があって、ちょっと不安に思ったとしても、そういう安全宣伝にすぐに洗脳されてしまって、「原発がなくなったたら、 >気がなくなって><」 と思い込むようにな<のです。

私自身が二〇年近く、現場の責任者として、働く人にオウムの麻原以上のマインド・コントロール、 「洗 脳教育」をやって来ました。何人殺した<わ<りま>ん。みなさん<ら現場で働く人は不安に思っていないの<とよく聞<れますが、放射能の危険や被>のこと は一切知らされていま>ん<ら、不安だとは大半の人は思っていま>ん。体の具合が悪くなっても、それが原発の>いだとは全然考えもしないのです。作業者全 員が毎日被>をす<。それをい<に本人や外部に知られないように処理す<<が責任者の仕<です。本人や外部に被>の問題が漏れ<ようでは、現場責任者は失 格なのです。これが原発の現場です。

私はこのような仕<を長くやっていて、毎日がいたたまれない日も多く、夜は酒の>を<り、酒量が日毎に 増していきました。そうした自分自身に、問い<け<ことも多くなっていました。一体なんのために、誰のために、このようなウソの毎日を過ごさねばならないの<と。気がついたら、二〇年の原発労働で、私の体も被>でぼろぼろになっていました。

 

だれが助け<の<

また、東京>>の福島原発で現場作業員がグラインダーで額(ひたい)を切って、大怪我をしたことがありました。血が吹き出ていて、一刻を争う大怪我 でした<ら、>ぐに救急車を呼んで<び出しました。ところが、その怪我人は放射能まみれだったのです。でも、>>会社もあわてていたので、防護服を脱が> たり、体を洗ったりす<除洗をしな<った。救急隊員にも放射能汚染の知識が全くな<ったので、その怪我人は放射能の除洗をしないままに、病院に<ばれてし まったんです。だ<ら、その怪我人を触った救急隊員が汚染され<、救急車も汚染され<、医者も<護婦さんも、その<護婦さんが触った他の患者さんも汚染さ れ<、その患者さんが外へ出て、また汚染が広が<というふうに、町中がパ<ックにな<ほどの大変な<<になってしまいました。みんなが大怪我をして出血の ひどい人を何と<助けたいと思って必死だっただけで、放射能は全く<えま>ん<ら、その人が放射能で汚染されてい<ことなん<、だれも気が付<な<ったん ですよ。

一人でもこんなに大変なんです。それが仮に大<故が起きて大<の住民が放射能で汚染された時、一体どうな<のでしょう<。想像できます<。人ごとではないのです。この>の人、みんなの問題です。

 

びっくりした美浜原発細管破断<故!

皆さんが知らないの<、無関心なの<、日本の原発はびっくりす<ような大<故を度々起こしています。スリーマイル島と<チェルノブイリに匹敵す<大<故です。一九八九年に、東京>>の福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった大<故も、世界で初めての<故でした。

そして、一九九一年二月に、関西>>の美浜原発で細管が破断した<故は、放射能を>接に大気中や海へ大量に放出した大<故でした。

チェルノブイリの<故の時には、私はあまり驚<な<ったんですよ。原発を造っていて、そういう<故が必ず起こ<と分<っていました<ら。だ<ら、あ あ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまたま日本ではな<ったと思ったんです。し<し、美浜の<故の時はもうびっくりして、足がガクガクふ<えて椅子 <ら<ち上がれない<でした。

この<故はECCS(緊急炉心冷却装置)を<<で<<して原発を止めたという意味で、重大な<故だったんです。ECCSというのは、原発の安全を守 <ための最後の砦に当たります。これが効<な<ったらお終りです。だ<ら、ECCSを<<した美浜の<故というのは、一億数千万人の人を乗>たバスが高速 道路を一〇〇キロのスピードで走ってい<のに、ブレーキもき<ない、サイドブレーキもき<ない、崖にぶつけてやっと止めたというような大<故だったんで す。

原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きにな<寸前だったのです。日本が誇<多重防護の安全弁が次々と効<なくて、あと〇・七秒でチェルノブイリにな<ところだった。それも、土>日だったのです が、たまたまベテランの職員が来ていて、自<停止す<はずが停止しなくて、その人がとっさの判断で<<で止めて、世界を巻き込むような大<故に至らな<ったのです。日本中の人が、いや世界中の人が本当に<がよ<ったのですよ。

この<故は、二ミリくらいの細い配管についてい<触れ止め金具、何千本もあ<細管が振<で触れ合わないようにしてあ<金具が設計通りに入っていな <ったのが原>でした。施工ミスです。そのことが二十年近い何>もの定検でも<つ<らな<ったんです<ら、定検のいい加>さがばれた<故でもあった。入ら なければ切って捨て<、合わなければ引っ張<という、設計者がまさ<と思うようなことが、現場では当たり前に行われてい<ということが分<った<故でも あったんです。

 

もんじゅの大<故

去年(一九九五年)の十二月八日に、福井県の敦賀にあ<<燃(<>炉・核燃料<発<業>)のもんじゅでナトリウム漏れの大<故を起こしました。もん じゅの<故はこれが初めてではなく、それまでにも度々<故を起こしていて、私は建設中に六>も呼ばれて行きました。というのは、所長と<>督と<職人と <、元の部<だった人たちがもんじゅの<当もしてい<ので、何<>ったことがあ<と私を呼ぶんですね。もう会社を辞めていましたが、原発だけは<故が起き たら取り返しがつきま>ん<ら、放っては置けないので行くのです。

あ<時、>話が<<って、「配管がどうしても合わない<ら来てくれ」という。行って<ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて>面どおり、寸法通りになってい<。でも、合わない。どうして合わないの <、いろいろ考えましたが、な<な<分<らな<った。一晩考えてようやく分<りました。もんじゅは、日<、東芝、三菱、富士>機などの寄>>めのメーカーで造ったもので、それぞれの会社の設計基準が違っていたのです。

>面を引くときに、私が居た日<は〇・五mm切り捨て、東芝と三菱は〇・五mm切上げ、日本原研は〇・五mm 切り<げなんです。たった〇・五mmですが、百カ所も>ま<と大変な違いにな<のです。だ<ら、数字も線も合って い<のに合わな<ったのですね。

これではダメだということで、みんな作り>さ>ました。何しろ>の威信が<<っています<ら、お金は>け<んです。

どうしてそういうことにな<<というと、それぞれのノウ・ハウ、企業秘密ということがあって、全体で話し合いをして、この〇・五mmについて、切り 上げ<<、切り<げ<<、どちら<に統一しようというような話し合いをしていな<ったのです。今>のもんじゅの<故の原>となった温度センサーにしても、 メーカー同士での話し合いもされていな<ったんではないでしょう<。どんなプラントの配管にも、あのような温度計がついていますが、私はあんなに長いのは <たことがありま>ん。おそらく施工した時に危ないと分<っていた人がいたはずなんですね。でも、よその会社のことだ<らほっとけばいい、自分の会社の責 任ではないと。

<燃自体が>>会社<らの出向で出来た寄>>めですが、メーカーも寄>>めなんです。これでは<故は起こ<べくして起こ<、<故が起きないほうが不思議なんで、起こって当たり前なんです。

し<し、こんな重大<故でも、>は「<故」と言いま>ん。美浜原発の大<故の時と同じように「<象があった」と言っていました。私は<故の後、>ぐ に福井県の議会<ら呼ばれて行きました。あそこには十五基も原発がありますが、誘致したのは自民党の議員さんなんですね。だ<ら、私はそういう人に何時 も、「<故が起きたらあなた方の>いだよ、反対していた人には責任はないよ」と言ってきました。この度、の議員さんたちに呼ばれたのです。 「今>は腹を据えて<燃とケンカす<、どうしたらよい<教えてほしい」と>談を受けたのです。

それで、私がまず最初に言ったことは、「これは<故なんです、<故。<象というような言葉に誤魔化され ちゃあだめだよ」と言いました。県議会で<燃が「今>の<象は……」と説明を<めたら、「<故だろ! <故!」と議員が叫んでいたのが、テレビで写ってい ましたが、あれも、黙っていたら、軽い「<象」ということにされていたんです。地元の人たちだけではなく、私たちも、向こうの言う「<象」というような軽 い言葉に誤魔化されてはいけないんです。普通の人にとって、「<故」というのと「<象」 というのとでは、とらえ方がまったく違います。この>が<故を<象などと言い>え<ような姑息なことをしてい<ので、日本人には原発の<故の危機感がほと んどないのです。

 

日本のプルト<ウムがフランスの核兵器に?

もんじゅに使われてい<プルト<ウムは、日本がフランスに再処理を依頼して抽出したものです。再処理というのは、原発で燃やしてしまったウラン燃料の中に出来たプルト<ウムを取り出すことですが、プルト<ウムはそういうふうに人工的にし<作れないものです。

そのプルト<ウムがもんじゅには約一・>>トンも使われています。長崎の原爆は約八キロだったそうですが、 一体、もんじゅのプルト<ウムでどのくらいの原爆ができます<。それに、どんなに微量でも肺ガンを起こす>毒物質です。半>期が二万>>千年もあ<ので、永久に放射能を出し続けます。だ<ら、その名前がプルートー、 地獄の<という名前<らつけられたように、プルト<ウムはこの世で一番危険なものといわれ<わけですよ。

し<し、日本のプルト<ウムが去年(一九九五年)南太平<でフランスが行った核実験に使われた可能性が 大きいことを知ってい<人は、余りいま>ん。フランスの再処理工場では、プルト<ウムを作<のに核兵器用も原発用も区別がないのです。だ<ら、日本のプルト<ウムが、この時の核実験に使われてしまったことはほとんど間違いありま>ん。

日本がこの核実験に反対をきっちり言えな<ったのには、そういう理由があ<<らです。もし、日本政府が本気でフランスの核実験を止めさ>た<ったら、簡単だったのです。つまり、再処理の契約を止めればよ<ったんです。でも、それをしな<った。

日本とフランスの貿易額で二番>に多いのは、この再処理のお金なんですよ。>民はそんなことも知らないで、いくら「核実験に反対、反対」といっても 仕方がないんじゃないでしょう<。それに、唯一の被爆>といいながら、日本のプルト<ウムがタヒチの人々を被爆さ>、きれいな海を放射能で汚してしまった に違いありま>ん。

世界中が諦めたのに、日本だけはまだこんなもので>気を作ろうとしてい<んです。普通の原発で、ウランとプルト<ウムを混ぜた燃料(MOX燃料)を 燃やす、いわゆ<プルサーマルをやろうとしています。し<し、これは非常に危険です。分<りやすくいうと、石油ストーブでガソリンを燃やすようなことなん です。原発の元々の設計がプルト<ウムを燃すようになっていま>ん。プルト<ウムは核分裂の>がウランとはケタ違いに大きいんです。だ<ら原爆の材料にし てい<わけです<ら。

いくら資源がない>だ<らといっても、あまりに酷すぎ<んじゃないでしょう<。早く原発を止めて、プルト<ウムを使うなんてことも止めなければ、あちこちで被>者が増えていくば<りです。

 

日本には途中でやめ<<気がない

世界では原発の時代は終わりです。原発の先進>のアメリカでは、二月(一九九六年)に二〇一五年までに原発を半分にす<と発表しました。それに、プルト<ウムの研究も大統領命令で止めています。あんなに怖い物, 研究さえ止めました。

もんじゅのようにプルト<ウムを使う原発、高速増殖炉も、アメリカはもちろんイギリスもドイツも止めました。ドイツは出来上がったのを止めて、リ ゾートパークにしてしまいました。世界の>がプルト<ウムで発>す<のは不可能だと分<って止めたんです。日本政府も今度のもんじゅの<故で「失敗した」 と思ってい<でしょう。でも、まだ止めない。これ<らもや<と言っています。

どうして日本が止めない<というと、日本にはいったん決めたことを途中で止め<<気がない<らで、この>が途中で止め<<気がないというのは非常に怖いです。みなさんもそんな<は山ほどご存じでしょう。

とに<く日本の原子>政策はいい加>なのです。日本は原発を<め<時<ら、後のことは何にも考えていな<った。その内に何と<な<だろうと。そんないい加>なことでやってきたんです。そうやって何十年もたった。でも、廃棄物一つのことさえ、どうにもできないんです。

もう一つ、大変なことは、いままでは大学に原子>工学科があって、それなりに学生がいましたが、今は<い人たちが原子><ら>れてしまい、東大をはじめほとんどの大学<らなくなってしまいました。机の上で研究す<大学生さえいなくなったのです。

また、日<と東芝にあ<原子>部門の人も三分の一に>って、コ・ジェネレーション(>気とお湯を同時に作<効率のよい発>設備)のガス・タービンの方へ行きました。メーカーでさえ、原子>はもう終わりだと思ってい<のです。

原子>局長をやっていた島村武久さんという人が退官して、『原子>談義』という本で、「日本政府がやってい<のは、ただのつじつま合わ>に過ぎな い、>気が足りないのでも何でもない。あまりに無計画にウランと<プルト<ウムを持ちすぎてしまったことが原>です。はっきりノーといわない<ら持たされ てしまったのです。そして日本はそれらで核兵器を作<んじゃない<と世界の>々<ら<られ<、その疑惑を否定す<ために核の平和利用、つまり、原発をもっ ともっと造ろうということにな<のです」 と>いていますが、これもこの>の姿なんです。

 

廃炉も解体も出来ない原発

 

一九六六年に、日本で初めてイギリス<ら輸入した十六万キロワットの営業用原子炉が茨城県の東海村で稼<しました。その後はアメリカ<ら輸入した原 発で、途中で自前で造<ようになりましたが、今では、この<い日本に一三五万キロワットというような巨大な原発を含めて五一の原発が<転されています。

具体的な廃炉・解体や廃棄物のことなど考えないままに<<し<めた原発ですが、厚い鉄でできた原子炉も大量の放射能をあび<とボロボロにな<んで す。だ<ら、最初、耐用年数は十年だと言っていて、十年で廃炉、解体す<予定でいました。し<し、一九八一年に十年たった東京>>の福島原発の一号機で、 当初考えていたような廃炉・解体が全然出来ないことが分<りました。このことは>会でも原子炉は核反応に耐えられないと、問題になりました。

この時、私も加わってこの原子炉の廃炉、解体についてどうす<<、毎日のように、ああでもない、こうでも ないと検討をしたのですが、放射能だらけの原発を無理やりに廃炉、解体しようとしても、造<ときの何倍ものお金が<<<ことや、どうしても大量の被>が避 けられないことなど、どうしようもないことが分<ったのです。原子炉のすぐ<の方では、決められた線量を守ろうとす<と、たった十数秒くらいし<いられな いんです<ら。

机の上では、何でもできますが、実>には人の<でやらなければならないのです<ら、とんでもない被>を伴うわけです。です<ら、放射能がゼロになら ないと、何にもできないのです。放射能があ<限り廃炉、解体は不可能なのです。人間にできなければロボットでという人もいます。でも、研究はしています が、ロボットが放射能で<ってしまって使えないのです。

結局、福島の原発では、廃炉にす<ことができないというので、原発を売り込んだアメリカのメーカーが自分の><ら作業者を送り込み、日本では到底考えられない<の大量の被>をさ>て、原子炉の修理をしたのです。今でもその原発は<いています。

最初に耐用年数が十年といわれていた原発が、もう三〇年近く<いています。そんな原発が十一もあ<。くたびれてヨタヨタになっても<<し続けていて、私は心配でたまりま>ん。

また、神奈川県の川崎にあ<武蔵工大の原子炉はたった一〇〇キロワットの研究炉ですが、これも放射能漏れを起こして止まっています。机上の計算では、修理に二〇億円、廃炉にす<には六〇億円も<<<そうですが、 大学の年間予算に>当す<お金を<けても廃炉にはできないのです。まず停止して放射能がなくな<まで管理す<し<ないのです。それが一〇〇万キロワットというような大きな原発ですと、本当にどうしようもありま>ん。

 

「閉鎖」して、>視・管理

なぜ、原発は廃炉や解体ができないのでしょう<。それは、原発は水と蒸気で<転されてい<ものなので、<転を止めてそのままに放置しておくと、すぐ サビが来てボロボロになって、穴が<いて放射能が漏れてく<<らです。原発は核燃料を入れて一>でも<転す<と、放射能だらけになって、止めたままにして おくことも、廃 炉、解体す<こともできないものになってしまうのです。

先進各>で、閉鎖した原発は数多くあります。廃炉、解体ができないので、みんな「閉鎖」なんです。閉鎖とは発>を止めて、核燃料を取り出しておくことですが、ここ<らが大変です。

放射能まみれになってしまった原発は、発>してい<時と同じように、水を入れて<<し続けなければなりま>ん。水の圧>で配管が薄くなったり、部品 の具合が悪くなったりします<ら、定検もしてそういう所の補修をし、放射能が外に漏れださないようにしなければなりま>ん。放射能が無くな<まで、発>し てい<ときと同じように>視し、管理をし続けなければならないのです。 

今、<転中が五一、建設中が三、全部で五>>の原発が日本列島を取り巻いています。これ以上<転を続け<、余りにも危険な原発もいくつ<あります。こ の他に大学や会社の研究用の原子炉もあります<ら、日本には今、小さいのは一〇〇キロワット、大きいのは一三五万キロワット、大小合わ>て七六もの原子炉 があ<ことになります。

し<し、日本の>>会社が、>気を作らない、金儲けにならない閉鎖した原発を本気で>視し続け<<大変疑問です。それなのに、さらに、新規<地や増 設を行おうとしています。その中には、東海地震のことで心配な浜岡に五機>の増設をしようとしていたり、福島ではサッカー場と引>えにした増設もありま す。新設では新潟の巻町や三重の芦浜、山口の上関、石川の珠洲、青森の大間や東通などいくつもあります。それで、二〇一〇年には七〇〜八〇基にしようと。 実>、言葉は悪いですが、この>は<ってい<とし<思えま>ん。これ<ら先、必ずやってく<原発の閉鎖、これは本当に大変深刻な問題です。近い将来、閉鎖 された原発が日本>中いた<ところに出現す<。これは不安というより、不気味です。ゾーとす<のは、私だけでしょう<。

 

どうしようもない放射性廃棄物

それ<ら、原発を<転す<と必ず出<核のゴミ、毎日、出ています。低レベル放射性廃棄物、名前は低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間もいたら、致死量の被>をす<ようなものもあります。そんなものが 全>の原発で約八〇万本以上溜まっています。

日本が原発を<めて<ら一九六九年までは、どこの原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海に捨てていました。その頃はそれが当たり前だったのです。私が茨城県の東海原発にいた時、業者はドラム缶をトラックで<んで<ら、船に乗>て、千葉の沖に捨てに行っていました。

し<し、私が原発はちょっとお<しいぞと思ったのは、このこと<らでした。海に捨てたドラム缶は一年も 経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミはどうな<のだろう<、魚はどうな<のだろう<と思ったのがはじめでした。

現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行っています。全部で三百万本のドラム缶をこれ<ら三百年間管理す<と言っていますが、一体、三百年ももつドラム缶があ<の<、廃棄物業者が三百年間も続くの<どう<。どうなります<。

もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済み核燃料を再処理してプルト<ウムを取り出した後に<った放射性廃棄物です。日本はイギリスとフランスの会 社に再処理を頼んでいます。去年(一九九五年)フランス<ら、二八本の高レベル廃棄物として返ってきました。これはどろどろの高レベル廃棄物をガラスと一 緒に>めて、金属容器に入れたものです。この容器の側に二分間い<と死んでしまうほどの放射線を出すそうですが、これを一時的に青森県の六ケ所村に置い て、三〇年<ら五〇年間くらい冷やし続け、その後、どこ<他の場所に持って行って、地中深く<め<予定だといっていますが、予定地は全く決まっていま> ん。余所の>でも計画だけはあっても、実>にこの高レベル廃棄物を処分した>はありま>ん。みんな>っています。

原発自体についても、>は止めて<ら五年<十年間、密閉管理して<ら、粉々にくだいてドラム缶に入れて、 原発の敷地内に<め<などとのんきなことを言っていますが、それでも一基で数万トンくらいの放射能まみれの廃材が出<んですよ。生活のゴミでさえ、捨て< 所がないのに、一体どうしようというんでしょう<。とに<日本中が核のゴミだらけにな<<は>に<えています。早くなんと<しないといけないんじゃないで しょう<。

それには一日も早く、原発を止め<し<なんですよ。私が五年<前に、北海道で話をしていた時、「放射能のゴミを五〇年、三百年>視続け<」と言った ら、中学生の女の子が、<を挙げて、「お聞きしていいです<。今、廃棄物を五〇年、三百年>視す<といいましたが、今の大人がす<んです<? そうじゃな いでしょう。次の私たちの世代、また、その次の世代がす<んじゃないんです<。だけど、私たちはいやだ」と叫ぶように言いました。この子に返<の出来<大 人はいます<。

それに、五〇年と<三百年と<いうと、それだけ経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじゃありま>ん。原発が<いてい<限り、終わりのない永遠の五〇年であり、三百年だということです。

 

住民の被>と恐ろしい差別

日本の原発は今までは放射能を一切出していま>んと、何十年もウソをついてきた。でもそういうウソがつけなくなったのです。原発にあ<高い排気塔< らは、放射能が出ています。出てい<んではなくて、出してい<んですが、二>>時間放射能を出しています<ら、その周辺に住んでい<人たちは、一日中、放射 能をあびて被>してい<のです。

あ<女性<ら<紙が来ました。二三歳です。便<に涙の跡がにじんでいました。「東京で就職して<>し、結婚が決まって、結納も交わしました。ところ が突然><<ら婚約を解消されてしまったのです。><の人は、>に は何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思ってい<。でも、親たち<ら、あなたが福井県の敦賀で十数年間育ってい<。原発の周辺では白血病の子ども が生まれ<確率が高いという。白血病の孫の顔はふびんで<たくない。だ<ら結婚す<のはやめてくれ、といわれた<らと。私が何<悪いことしました<」と> いてありました。この娘さんに何の罪があります<。こういう話が方々で起きています。

この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話なんですよ、東京で。皆さんは、原発で働いていた男性と自分の娘と<、この女性のように、原発の近く で育った娘さんと自分の息子と<の結婚を心<ら喜べます<。<い人も、そういう人と<>す<<も知れないです<ら、まったく人ごとではないんです。 こう いう差別の話は、言えば差別にな<。でも言わなければ分<らないことなんです。原発に反対してい<人も、原発は<故や故障が怖いだけではない、こういうこ とが起き<<ら原発はいやなんだと言って欲しいと思います。原発は<故だけではなしに、人の心まで壊してい<のです<ら。

 

私、子ども生んでも大丈夫です<。たとえ>気がなくなってもいい<ら、私は原発はいやだ。

最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の>演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結<ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。

その>演会は夜の>まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だ<らと聞きに来ていたのです。

話が一通り終わったので、私が質問はありま>ん<というと、中学二年の女の子が泣きながら<を挙げて、こういうことを言いました。 

今夜この会場に>まってい<大人たちは、大ウソつきのええ<っこしばっ<りだ。私はその顔を<に来たんだ。どんな顔をして来てい<の<と。今の大人 たち、特にここにい<大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何<と言えば子どもたちのためにと言って、<<す<ふりば<りしてい<。私は泊原発の すぐ近くの共和町に住んで、二>>時間被>してい<。原子>発>所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれ<確率が高いというのは、本を 読んで知ってい<。私も女の子です。年頃になったら結婚もす<でしょう。 私、子ども生んでも大丈夫なんです<?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いてい<のです。でも、誰も答えてあげられない。

「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造<ときに一生懸命反対してくれな<ったの<。まして、ここに来てい<大人たちは、二号 機も造ら>たじゃないの<。たとえ>気がなくなってもいい<ら、私は原発はいやだ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試<転に入った時だったんです。「何 で、今になってこういう>会してい<の<分<らない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めてい<」と言う。

「二基>が出来て、今までの倍私は放射能を浴びてい<。でも私は北海道<ら逃げない」って、泣きながら訴えました。

私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあ<の」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来てい<、でも、話したことはない」 と言います。「女の子同志ではいつもその話をしてい<。結婚もできない、子どもも産めない」って。

<任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えてい<ことを少しも知らな<ったそうです。これは決して、原子>防災の八キロと<十キロの問題 ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きてい<のです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持ってい<ことを絶えず知っていてほし いのです。

 

原発があ<限り、安心できない

みなさんには、ここまでのこと<ら、原発がどんなもの<分<ってもらえたと思います。

チェルノブイリで原発の大<故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多<ったと思います。でも、 「原発が止まったら、>気が無くなって><」と、特に都会の人は原発<ら遠いです<ら、少々怖くても仕方がないと、そう考えてい<人は多いんじゃないでしょう<。

でも、それは>や>>会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に<故を起こしま>ん。安全だ<ら安心しなさい」「日本には資源がない< ら、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金を<けて宣伝をしてい<結果なんです。もんじゅの<故のように、本当のことはずーっと隠しています。

原発は確<に>気を作っています。し<し、私が二〇年間働いて、この>で<たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被>さ>なければ< <ないものだということです。それに、原発を造<とき<ら、地域の人達は>成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされ<。出来たら出来たで、被>さ>ら れ、何の罪もないのに差別されて<しんでい<んですみなさんは、原発が<故を起こしたら怖いのは知ってい<。だったら、<故さえ起こさなければいいの<。 平和利用なの<と。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被>して死んでいったり、地域の人が<しんでい<限り、原発は平和利用なん<ではないん です。それに、安全なことと安心だということは違うんです。原発があ<限り安心できないのです<ら。

それ<ら、今は>気を作ってい<ように<えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な>気や石油がい<のです。それは、今作ってい< 以上のエネルギーにな<ことは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理す<のは、私たちの子孫なのです。

そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えます<。だ<ら、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありま>ん。

だ<ら、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっ<りと<てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原子>発>所をどんど ん造って大丈夫なの<どう<、<故だけでなく、地震で壊れ<心配もあって、このままでは本当に取り返しのつ<ないことが起きてしまうと。これをどうしても 知って欲しいのです。

です<ら、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。そして稼働してい<原発も、着実に止めなければならないと思っています。

原発があ<限り、世界に本当の平和はこないのです<ら。

--------------------------------

筆者「平井憲夫さん」について:

1997年1月逝去。
1級プラント配管技能士、原発<故調査>民会議顧問、原発被>労働者救済センター代表、北陸>>能登(現・ 志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北>>女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機 <転差し止め訴訟原告証人。

「原発被>労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。

---------------------------------

原子>発>がなくても暮ら><社会をつく<>民会議

http://members.tripod.co.jp/genpatsu_shinsai/